中村碧子 solo performance「日々の反芻〜生きること〜」2021.12.4. sat

日々を反芻する

私はヨガを始めた。太陽崇拝はその中でも1番基本的なポーズだ。

太陽への信頼が日々向上している。

何故かというと、太陽を浴びると元気になるからだ。日光浴は生きる上で健康になる重要な要素だ。

イスラム教について考える。イスラム教は礼拝を1日に5回行う。

なぜこんなにも行うのかと、大変だと思っていたが、それはおこがましい考えだった。

神への信仰はもちろんのこと、毎日礼拝をする行為は健康にとても良いのではないかと私の中で納得した。

ヨガでは月のポーズというものがある。

それは人間が日々重力のある地球で生活すると、内臓が下に下がっていく。

その内臓を体を逆さまにすることで元の位置に戻すという役割がある。

私は礼拝では頭を床につけ、何度も礼拝を行う。

そのように体を動かすことで、筋肉を働かせ、体の血の巡りを良くして、健康な体へと導いていく。

心の健康もそうだ。神への信仰がある、信じるものがあると、精神の状態も良くなる。

生きることに、必要な要素は充分になる。

生きる上で食べることは必要なことだ。

私は野菜が好きだ。

それは最近気付いたこと。

食べ物は土地が必要。土地から穀物や野菜などが生まれ、生物の身体に取り込む。

野菜が成長するためには、太陽が必要だ。

そのため、私は太陽崇拝を行い、そしてサラダを摂取する。

サラダを真剣に食べる自分はなによりも生きることに真剣であるということ。

本能とはそこが根源なのではないか。

生きるということ。

私は以前、木になりたかった。木になるということは、自然の一部になることだと思っている。

その為、私が死んだ時には木になるために体を木の側の土に埋めてもらいたい。

そうしたら、木になってこの世界にこの身が何千年と生き続けると思っている。

木は、反芻している。

土から生まれ、水を摂取し、太陽光を浴びて、成長する。冬になれば、枯れて、そしてまた春には葉をつける。

だから、土に還りたい。

土に還って、野菜になるかもしれない。

それの繰り返しを行い、そして大きく成長していく。

私は、今の人生の先が一年先しか見えていない。そのことに不安を感じていた。

だけれど、木をみているとそのまま、時の流れに身を任せていいのだと思わせる。そして、本能で食べ、太陽光を摂取し、生き続ける。

何か事故がないかぎり。

病気がない限り。環境など。

木のように生きて、そして成長することができる。

私は、今この瞬間をこのように生きていていいのだ!!!

皆んなもそう。

何も自分を責める必要はない。

生きることの喜びや感謝を忘れずに、人生を舐めずに生きていれば、自分のやりたいことをエネルギーをもって、熱い気持ちをもって生きていけば、今の苦しい時間があっても大丈夫だと、そう思う。

日々の反芻〜生きること〜

  • シャトー2F

出演